日本人の「正義」の話をしよう

白熱教室 in 岡野工業

岡野雅行さんと勝田誠彦さんとの対談形式による哲学対話

他の本ではなかなか味わえない独特の世界に引き込まれていく。

回り道をすれば人間のいろんな面を見ることができ,それは同時に自分の

器を大きくすることにつながる。

ある本に,五常  すなわち,信,義,礼,智,仁 のうち,特に仁が大切とあった。

儒教の教えだ。しかし,「仁」を追い求め過ぎるのは問題だ。

人は多かれ少なかれ失敗をする。誤る。まして,挑戦するときは失敗がつきものだ。

儒教の失敗に対する厳しさが日本人のイノベーションを阻んでいる,という人もいる。

 

この本のあとがきで,勝田氏は「義」が大切としている。日本人の正義とは,義に殉じることと説く。その反対のことは,簡単にいうと「責任をとらない」ということらしい。

仁が大切とみるか,義が大切とみるか,人それぞれ。

言えることはバランスが大切だということだろう。

活かすも 枯らすも 自分次第。

 

主体性とは

主体性とは何だろう。

選択があり,意思決定があること? 主体的でなくてもそれはありそう。

やはり,自分と環境や状況とのかかわりで考える方が考えやすい。

環境や状況などの対象にかかわっていくときの「かかわり方」にあるとすれば,

それは働きかけが内から出てくるかどうか。

もしそうなら,自分が対象に対して問いや願いを持つことに主体性の源はありそう。

でも,自分に対しての主体性だってある。

自分に問いかけること。自問自答だってその最中は主体的であるはずだ。

いずれにしても「問い」を持つことは共通していそうだ。

そういう意味でいうと,主体性には異質なものとの出会いが必要だ。

それは簡単にいうと「他者」。もう少し広げると「他者性」。

問いによって他者性を同化しようとする働きが学びかもしれない。